摂南大学での講演(2015.10.22)

日本がついこの間まで戦争をしていたことは知っていましたが、フィリピンのような関係のない国を巻き込んでまで戦争していたことを全く知りませんでした。講演会後には知らなかった自分が少し恥ずかしくなりました。しかし今回のこの講演で知ることができ、本当によかったです。ビデオに登場した元日本兵の方々や被害にあったフィリピンの方々のような、実際に戦争を経験した方たちのリアルなお話は衝撃と重みがあり、深く考えさせられました。しかしそのような戦争を経験した方々はあと数年でいなくなってしまうので、自分たちがこの事を語り継いでいかなければなりません。なので、自分たちにできることは小さいですが、後世にこの悲惨な過去を語り継いでいく事だと思います。さらに、神さんが昔出会ったドイツ人の方が言っていたことが自分にも衝撃的で、「ナチスがしたことを思うと恥ずかしい」と、自分の国がしたことを自分がしたことのようにとらえるというその気持ち。この行為も私たちにできることでありすべきことなのではないかと思いました。他人事では済まされないのです。これらのことができたとき、国と国同士、今の世代と戦争を知る世代との平和の架け橋ができるのではないかと思います。さらに戦争を知ることが未来の戦争をなくすことにつながると思います。

★今回、 私達が行ったWorkshopでは地球共生をテーマに活動しました。地球共生とは「Humanity」、「Innovation」、「Sustainable Development」の3つから構成されます。講演をお聞きしてその中のHumanity(人間性)という部分が大きく関係していると感じました。私達の考えているHumanityには海外に家族のような存在を作ることで戦争を止める要因になると考えております。

今回の活動で私はフィリピンに多くの友人ができました、現地に行くまで警戒心が少なからずありましたが、彼らと苦難を共にした今では掛け替えのない存在です。

講演をお聞きし彼らの住んでいる国と日本の間で起こった悲惨な出来事を約20年間気にもしないで生活してきたことを非常に情けなく思いました。

もし今、戦争が起こってしまい過去の出来事を繰り返すことになると考えるだけで悲しみ、憤りを感じます。

「なぜ戦争が起こるのか」についてWorkshopや講演会を通じて私なりに考えた結果、相手のことを知らないからではないかと思いました、未知のものは誰しも恐怖感、不安感を抱きます。その恐怖感などから逃れるために未知のものを排除しようとし差別を行います、それが火種となり戦争につながると考えました。

このようなことを起こさない為にお互いを知るべきだと、過去にあった出来事を心身に受け止めお互いを赦し合うことで未知のもの、あるいは憎しみのあるものを軽減することができるのではないかと思いました。

ただの理想でしかないとは自分自身理解しているのですが、自分の考えで何かできることはないか、模索しながら今後活動をしていこうと思っております。

私は8月にフィリピンのセブ島へ行くにあたって、事前学習として戦争の事も調べていたのですが、神さんのお話を聞いていると知らない事ばかりでした。当たり前の事ですが、いくらネットや本を読んでも、実際に体験された方々の生の話を聞かないと分からないことばかりでした。神さんに見せていただいたビデオの中で話されていた方の“戦争中、無情感が出てくる”“戦争は誰もが犠牲者”“人生の傷跡”等の言葉はとても重く聞こえたと同時に、当時の事を知らない私にも少し共感できたような気がしました。この気持ちをより多くの人が感じる事で、今後二度と同じような事を繰り返さないための手段の一つに繋がると思いました。この先、実際に体験された方が減ってしまい、実体談を聞ける機会も減ってしまいますが、もっと多くの人がこの事実を知るべきであり、そのためにも、知っている人が自分の周りに伝えていかなければならないと思いました。“知っているのに何もしないのは、知的搾取と同じ”本当にその通りだと思いました。


私達が普段生活している中で“戦争”という言葉を意識することはほとんどありませんでした。終戦日近くになると、テレビの特集により目にすることは増えてもどこか人事で、目を背けたい過去のことという意識が強かったです。

しかし、実際は過去でありませんでした。「人を殺めている」「ひどいことをした」という事実は死ぬ瞬間までついてまわり、苦しめられ続ける。私は一生体験することのないであろう、体験したくないものです。

元日本兵の方やフィリピンの被害者の方の生の声は正直聞いているのが辛く、何度も耳を塞ぎたくなりました。言葉1つ1つが生々しく、頭の中で映像となるのです。このようなことが本当に起こっていたのだと、講演を聴き初めて実感しました。私達と同じように生活していた人たちが戦地に送られ、天皇のため、国のためと次々に人を殺していく。雰囲気とは恐ろしいものです。死と隣り合った場所に放り込まれ、極限の状態に追い詰められた人間は感情をなくしてしまうのだと感じました。

人はどうして争うのでしょうか。上に立ちたいと思うのでしょうか。大きい小さいはあるにしても、争いとは何気ない日常の中に溢れています。スーパーマーケットにも、小学校にも、家の中にだって。「やられたらやり返す。倍返しだ。」という言葉がありましたが、戦争が始まる原因はこの考えなのではなのでしょうか。これが流行語として持て囃される現代から戦争はなくなるのでしょうか。考えすぎなのかもしれません。しかし、私のように戦争に現実味がなく、人事である若者は少なくないと思います。

いつでも戦争に参加することができるようになってしまった今、惨事が繰り返されないように私が直接できることは何もないかもしれません。けれども、神さんのように戦争をなくすために活動をしている人のことを伝えることはできます。この講演を聴いて私が感じることができたように、1人でも多くの人が戦争は1度してしまったら死ぬまで終わらないのだということに気付いてほしいと思いました。私の子供が、そしてみんなが笑って暮らす事のできる世界をずっと残すために自分ができることを1つ1つ行っていこうと思います。

戦争という単語を聞いて、以前の私の脳裏には一番に広島の原爆ドームが思い浮かびました。小学生の最高学年になって浮かれながらに訪れた広島で見たそれは、とても衝撃的だったのを覚えています。紙状で知っている、また知識があるだけということがどれほど浅はかなものだったかを、生まれて初めて感じた瞬間であったようにも思います。アメリカ軍によって投下されたリトルボーイが起こした悲劇。その重大さを目の当たりにした瞬間でもありました。

 この夏、偶然ともいえる機会に恵まれ、フィリピンに行き多くの友人を得ました。フィリピンの友人たちは皆、気さくで人懐っこくワークショップの初日から私たちを快く迎えてくれました。しかし、帰国後の学習で日本軍がフィリピン人を大虐殺したという事実を深く知るにつれ、なぜ手を取り合い仲間となりうる人たちと争った経験があるのか、また何より

私の先祖や同じ場で育ったかもしれない人たちが“加害者”という立場に立っていたということを悲しく思いました。

 その学習を経た私が、先日の講演会で一番に感じたこと、それもまた何年か前に私が感じたものに類似していたように思います。学習によって知った事実は紛れもない事実でしたが、実際に日本軍がフィリピンの方に行ってきた残虐な行為が、生の声によって語られフィリピンの方々の悲痛な気持ちと行き場のない怒りを肌で感じ取るたび、目を背けたくなる気持ちが湧き出ていました。ビデオが流れている間は、多くの方々がおっしゃっていた「赦します」という言葉の深さ、重さを受け止めるのに必死でした。事実はいつも私が考えるよりも重く辛く、とても複雑なものであると理解しました。

 “赦す”と言われていた当時の兵士たちの証言もまた、私には衝撃でした。これまで“悪いのは加害者、被害者が正義”とどこかで考えていた私がいたからです。毎年放送される終戦記念の証言で聞けるのは、やはり被害者の声ばかりであり、聞こうとしても無理だったのかも知れません。当時の兵士の方々もまた被害者の方々と同じだけの心の傷を負っていたことを目で見て、耳で聞き、知ることができました。目を背けてはいけない耳を塞いではいけない事実がそこにはありました。「命令であろうと何であろうと私は紛れもなく実行犯だった。」この言葉が特に耳に残っています。

 “戦争は恐ろしいものです。”

 口にするのは簡単です。それは誰もが知っているはずです。

戦渦に巻き込まれている子供だけでなく、裕福であろうとそうでなかろうと、この日本に生まれてきている子供であっても例外ではないはずです。戦闘もののアニメを観て育った男の子、授業で過去のモノクロの戦争動画を観て涙を流した女の子、そんな子達にもわかるはずなんです。私たちの世代も同様です。しかしそんな人たちは皆、すべてを知ることはなくどこか他人事、過去のこととして戦争を捕らえていると思ってなりません。以前の私のように、知っているようで知らない人が何よりの戦争の引き金になるのではないかと講演会を終えて強く思いました。

 また戦争へと足踏みを始めたといわれる日本で生きる一個人として、今回の講演会を聞いて“知った”ことは大変貴重な財産になったと感じております。日本が悲劇を繰り返さないよう、また世界から戦争が無くなる日が来るよう、神さんをはじめBridge For Peace のご活動の発展を心より願っております。本当にありがとうございました。

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