立命館大学でのワークショップ授業(2023.5.9)

・ 本日の授業の最初におっしゃっていた所で、今私達は日本で生まれて当たり前のように大学生をしているが、その恵まれた環境で何もしないのは知的搾取である。という言葉がとても心に響きました。大学生を出来ているのは本当に限られた人だけである中でその特権を利用するべきであると改めて思いました。
神さんのフィリピンの体験学習の所で兵士は家族に自分がかつて何をしたのか話せないけれど、他人である神さんだからこそ話せたという点がやはり戦争に対する後悔や怖さを感じました。私は兵士が死ぬまで後悔をし続けていた事やしたくてした事じゃないと分かったとしても家族を殺されたという事実は拭えないし、時間がどれだけ経っても許せないなと思いました。しかし、フィリピンの方はもし自分達がその立場であった時にも同じことをしていたと考えたり、過去のことだから許そうという気持ちを持って下さっていることに驚き、優しさやフィリピンの国民性を感じました。フィリピンの方がおっしゃっていたように本当に辛い思いをした人は上映会にすら来ることが出来ないというのにも納得しましたし、そのような方にはどのように伝えるべきなのかとても難しい問題だなと思いました。
また、元スパイの方のお話を聞いて、今の衣笠の立命館大学の場所は日満工科学校で、重機を作るような軍事工場であったというのを初めて知りました。また、日本人だと思われないように中国人の所作などを習って、民間人の服を着るなど徹底的に中国人に変装していたことや腰には銃や手榴弾などをつけていたことを知り。とても怖いなと感じました。今は立命館大学は近くに国際平和ミュージアムがあったりということもあり、平和のイメージが強いですが、このように戦争に対して、加担していたと考えるととても驚きが隠せません。今回の授業を通して、戦争は過去の話だというように考えてはいけないなと思いましたし、いつ起こるか分からないとても危険なものだと再確認しました。私達一人一人がもっと戦争に対しての知識を持ち、向き合っていくべきだと思いました。

・とても有意義な授業です。中国からの留学生として、中国の中高学校に通ってたとき、あの戦争についての歴史授業を受けました。しかし、教本で日本軍隊は非常に悪い侵略者と述べています。当時、戦争に参加した日本人は一体どんな気持ちだったのかという疑問をいつも持っています。今日、元兵士たちのインタビューを観て、やっぱり後悔な気持ちと戦争の恐ろしさを感じました。私たちは、あの時代の人の傷と怒りを変えられないが、この歴史を正く記録し、平和の重要さを人に伝えて、戦争を二度に起きられないように努めます。

・日本の第二次世界大戦に何があったのか詳しく聞くことができました。
私自身父ドイツ出身であり実際父もドイツ出身で、実際私も5年生までドイツの現地学校で過ごしました。そこでは多くのナチスに対する学習がありました。実際学校でパッサウにある強制収容場に行ったりユダヤ人記録館にも行きました。実際世界史でも多くの時間をナチスの戦争犯罪、全体主義について学びました。ですが日本の学校に行ってからあくまで原爆の被害者の視点がメインでそれももちろん大切ですが加害者視点の見方がとても少なく驚いたのを覚えています。その日本がやった加害者視点で今回そこにいた元兵士方の話が聞け、そして今なお続く課題について学ぶことができてとても貴重な体験ができました。特にある元兵士の方が語っていた様に戦争は人を殺すことを許しそれが求められることを改めてて実感しいかに異常な世界である事を学びました。 神先生が行なっているフィリピンの方々に元日本兵のビデオを見せる活動にはとても感銘を受けました。
実際加害者、被害者共に大きな傷を負い何十年とたった今なおいえない、戦争の恐ろしさも知りました。 また立命館大学の学生で生還できなかった人が少なかったことに息を飲みました。また当時の立命館もナショナリズム的思考が強かったことに自由でなければならない大学ですら自由が守られない全体主義、ファシズムの恐ろしさを知りました。
神先生が撮って頂いたビデオは私たち世代にとても大切なものでありこれを伝え続けることで戦争の危機に遭っても待ったをかけれる様な社会にしていかなければならない事を実感しました。

・今回の講義で未来を予測して平和を考えるのではなく、過去の経験談から戦争の現実を学び、私たちだからできることを見出すということの重要性を学んだ。自分のような世代からすると戦時中のフィリピンでの出来事は遠い昔の話で、授業でも学ぶ機会のなかった内容なので経験者の生の声で聴くことができるのはとてもいい経験だと感じた。また、被害者の経験談だけでなく被害者と加害者のメッセージを直接つなぎ合わせるのはとても興味深い活動だと思った。兵士の方々の話から、当時の時代背景や風潮、情景が生々しく想像できて、現代の社会と比較して話すことができる経験者の存在はこれからの戦争を考えていくうえでとても貴重な存在であると実感した。実際の戦争を経験しているからこそ訴えたいことがあり、そこから戦争を何も知らない私たちの世代が感じたことを行動に移して戦争に立ち向かうべきだと気づかされた。現在の立命館大学生に代表される戦争未経験の世代は悲惨な過去をこれからの戦争の抑止力につなげるという使命と共に、平和を実現することに繋げることができるという平和を目指すうえで新たな視点を得ることができた。この体験をもとに、戦争問題について多方面から対峙できるようにしていきたいと思った。

・本学が戦争に前向きだった過去を知った途端、太平洋戦争が悪い意味で身近に感じた。
フィリピンに出兵した日本人の肉声を聞くのは、初めてだったかもしれない。彼らの強い後悔を感じ、そのリアルさと行われてきた現実に呆然とした。
この映像を見て、まず思ったのは“あと数年で戦争経験者がいなくなってしまう”という危機感だ。無論現代を生きる日本人達は戦争に断固反対しているが、それでも体験者の声を聞く機会が無くなるというのは、戦争の危うさを後世に伝えていく中で不可欠だと感じたからだ。
また、戦争体験者の方が口をそろえて言う「戦争は無残で二度とあってはならない」という言葉が、自分の胸の深くまで刺さった。勿論私は幼い頃からそう胸に刻んで生きてきたつもりである。しかし、体験者から直接話されるその想いには、比べ物にならない重みがあるのは事実だと思う。
逆らうことは許されない強制的な国の命令で、学徒出陣をしてきた先輩方。彼らの実に悲痛な叫びを、現代を生きる人の責任として、自分の子供世代にも教えていかなければならないと思った。
今日見た映像は本授業を取っていない人達にも見てもらいたい位意味あるものであったと考える。私自身今日、平和講義の意義を改めて感じたことを活かして、残りの講義も過去の恐怖と今後の平和を多方面から捉えながら受けていきたい。

・義務教育で私は戦争についての歴史教育を受けてきました。当然日本がアジア圏の国々を植民地にし、大東亜共栄圏と呼ばれる日本の支配地域を作っていたことも学んでいました。しかしながら、私が知っていたのはそれだけです。ただ事実を知っているだけ、テストを埋めるためだけの知識であって、実際にどんなことがったのか、当時の人々はどう思っていたのかなどは何も理解していませんでした。神直子さんの恩師の方の、「知識を共有しないことは搾取である。」というお話は衝撃を受けるものでした。そのような発想は今まで持ち合わせていなかったものだったのでとても印象に残りました。また神直子さんが周囲に反対される中、「私がやなきゃ誰がやるんだ。」という思いをもって行動に移したその姿勢は本当に尊敬します。今年で私は21歳になりますが、一度も選挙には参加したことがありません。平和を目指すためには選挙への参加は必須だと思います。当たり前のことのはずですが、今までできていなかったことです。神直子さんのような大きな行動には移せないかもしれませんが、選挙に参加するという小さな一歩をまず踏み出してみようと思います。

・ お忙しい中質問に回答してくださってありがとうございました。対面で日本への憎悪を直接伝えられた時、私はどんな顔をしてどんな言葉を相手に返せばいいのか考えてみましたが残念ながら答えは出ずじまいでした。過去の行いについて深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べることが正しいのでしょうか。私は映像に映っていた人の旦那さんを殺していないし東南アジアの侵略に加担もしていません。しかし今日本人であることを享受している以上、この責任を背負い、諸外国に負い目を感じながら生きていかなければならないのでしょうか。それとも現代の私たちが責任をとっていくことは至極当然のことであり、先ほど述べたようなものは侵略側の国の人間だから生じるような浅はかな考えなのでしょうか。
私が国単位で憎悪の感情を抱いたことがないのは幸福にも(今のところ)平和な世界に生まれ、身近な人を奪われた経験が一度も無いからといったような背景があるのかもしれないという想像に至りました。
映像のフィリピンの方々の話を聞く内、気づけば涙がこぼれていました。涙の理由は上記のように自分の立場や気持ちが整理できなくなったからかもしれないし、冒頭の女性の悲痛な気持ちに感情がリンクしたからかもしれません。途中に出てきた中年の女性と最後の高齢の男性が赦すと言葉にしていました。月日が経ったことに加え、ビデオメッセージなこともあり相互的では無く一方ずつ丁寧に行われたやり取りであったが為に当人同士の謝罪と赦しが成立に至ったように感じます。心の内を聞き、それを残して映像を現地に届ける。戦争が絡む以上決して楽しいことばかりでは無いと思います。しかし日本からほとんど出たことのない自分は今日、神直子さんのお話を聞いて私たちがあまりにも現地の声を聞いていないという現状とそんな声を届けてくれる活動を知ることができました。
貴重な講義をありがとうございました。

・フィリピンで戦争被害者と出会い、そこで日本人なんて見たくなかったと言われた体験について聞いた。一方、韓国もフィリピンと同じように、日本に支配されたことがあり、未だに苦しんでいる方々もいる。また、立命館大学にも兵役志願を拒否し、退学処分になった32名の韓国人がいる。私も、このような方々と同じ立場であったら日本人が嫌いという感情が心に根強く刻まれていただろう。この感情を日本人が好きという立場に変えることは難しいだろうが、現状のまま放置するのではなく、真心から謝罪し、日本人にも過去を後悔し、反省する人がいることを知らせていくべきなのではないだろうか。実際、自分が関わった残虐行為を嘆きながら亡くなった元日本兵もいて、国に命じられ、しょうがなく従ってしまったことに自責の念を持っている人もいるだろう。なお、立命館大学でもそのような過去に対し、海神の悲劇を繰り返させないように誓って反省している。このように、許されないとしても、反省して謝罪することで過去を繰り返さないことを意識することが平和の一歩になると考える。
確実に、これまでの日本の行為は平和ではなかった。しかし、それがこれからも平和でなくてもいいということには繋がらない。これからの世代は、過去のことを忘れず、また起こさないように気をつけ、平和を実現するために努力すべきだと思う。 これは、日本にとどまらず、全ての国の人々が意識する必要がある。私の母国である韓国でも、日本に支配されたと恨む人は多いが、韓国の軍隊がベトナムの民間人を虐殺したことについては興味を持つ方は少ない。支配をされたと言え、同じことを繰り返すのは平和ではない。平和のためには、自国の恥ずかしいことを隠さず、恥ずかしいことだと認識することも大事であろう。また、そのように認知することで、これからの世代が同じことを繰り返さず、平和に進んでいくことができるのではないだろうか。

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