立命館大学でのワークショップ授業(2022.10.18)

・ ビデオにあることがすべてではないとおっしゃっていたから、まだまだ分からないことだらけであると思った。もっと自分の目でいろいろな事を見て、考えたいと思った。すきで兵士になっている人がいるわけもなく、今のロシアの国民を兵士として徴兵していることで、戦争に駆り出された側も、傷つけられた側も再び同じ思いをしている人がいると考えると私たちに何ができるのか。

・神さんがフィリピンに留学に行き、現状を知ったことで、それを放置せず、行動に移していることが素晴らしいと思った。私なら、見て見ぬふりをしてしまう気がする。日本が被爆国であること、被害を与えた国であること、戦争によって被害を受け、人生を変えられてしまった人がいること、今も戦争が起こり、過去の過ちが繰り返されていること、どこか他人事に思い、他人任せにしてしまっている点があったと思う。

・根本的に戦争が起こらないようにする為には、政治に関心を持つことは必ず必要であると思った。私たちの代表をしっかりと選びたい。自分たちが持っている意見をはっきりと発言することを学び、間違ったことは間違っていると言いたい。今回の講義を聞いて、戦争が起こって笑顔になっている人などいないと、いてはならないと改めて感じた。

・今回はフィリピンに焦点を当てて戦争について現地の人そして実際に戦った日本兵について大変貴重なお話を聞くことが出来てとても印象に残った。日本で生まれ日本で育った私たちにとって、日本で起きた原爆の話であったり、日本で起きた空襲のお話を聞くことは多々あったが、日本に責められたフィリピンのお話はなかなか学校の授業等では扱ってこなかった内容であるため、人を殺してを井戸に閉じ込めたりと過激な内容ばかりであった印象だ。しかし、このインタビューに答えてくださったフィリピンの方そして日本人の方は戦争を体験した人のごく一部であり、本当に悪事を働いて何も知らないフリをしている元日本兵や、無惨に殺されてしまったフィリピン人のことを考えると、戦争ってなんて恐ろしいものなんだろうかと思った。あるYouTuberが、戦争を起こすことで失業者が減り、自殺者も減ることで経済に大きな潤いをもたらすと言ってた。しかしこれは大きな間違いだと改めて気づいた。仮に戦争で生き残ったとしても、戦争に少しでも関わった人には心に多大なる傷がついてしまうし、敵国への憎しみのみが残り、何も生まないのであると思う。ウクライナで戦争が起きている中で、ロシア兵、ウクライナ兵共に大きな心の傷を負ってしまうこの状況がひたすら悲しいし、一分一秒でも早く終わることをこころから願いたい

・今回の講義ではフィリピンでの戦争と和解についてのお話を伺ったが、ちょうど先月自分もフィリピンを訪れてサンティアゴ要塞など、マニラ市内の日米の激戦地となった戦場跡を訪れ破壊された要塞や昔の建物を直接自分の目で見て衝撃を受けたので、とても身に迫ってくるものがあった。日本と米国、両国とも自分の国土ではないフィリピンで戦争を繰り広げたため関係のないフィリピンの国民まで戦争に巻き込んでしまったことは反省しなければならないと思った。またアメリカは戦前から残虐な手法でフィリピンを植民地支配していた歴史を知り、白人至上主義の帝国主義時代に行われた犯罪(国家ぐるみの)はもっと見直されなければならないと感じた。そのうえでなぜ日本は第二次世界大戦を戦うことになったのか、どうすれば回避できたのか、また戦争が始まってしまったとしても他に災禍がまだ少ないうちに終わらせられることはできなかったのかを真剣に考えなければならないと思った。

・私は、日本の戦争に関して、世界で唯一の被爆国であるということと、その悲惨さについてしか学んでおらず、加害者としての日本をあまり意識したことがなかったので、今日の神さんのお話はとても衝撃的でした。戦争に参加したことの意味を今日、改めて学ぶことができました。また、神さんのお話の中で、「この方は~年前に亡くなられて…」という話題になることが多々あり、本当の戦争を若い世代に教えてくださる方がどんどん減っていっていることを実感しました。元日本兵の方に連絡を送られていたり、何度もフィリピンに赴かれている神さんの行動力はすごいなと思います。神さんは、日本史は赤点を取ったことがあるくらい苦手だ、とおっしゃっていましたが、私も世界史嫌いなりに、戦争で日本がほかの国に対してしてきたことについてもっと調べてみようと思います。

・実際に兵士であった方がいうには戦争に反対できなかったそうだ。そう教育されていたし、そういう空気があったそうだ。罪の意識がずっと残っており、亡くなるまで悔やんでいた人もいたそうだ。誰が敵で誰が味方か分からなく、いつ銃で撃たれるか分からない状況でゲリラと住民の区別がつかなく、自分が撃った球で何が起こるか分からない状況だったそうだ。日本兵は独身女性を探して強姦し、された女性は殺されるので抵抗できなかったらしい。兵士は愛する人の名前を叫んで新んでいった。国のためではなかった。一日戦争をすれば人は死ぬ。毎日戦争をすると毎日人が死ぬ。僕が生きていていいのかとボソッとつぶやく人もいた。他の国の人から見れば日本人は加害者だ。

・自分がやっていないからと言って関係ない過去として放置していてはいけないことがよくわかりました。この国に生まれた以上祖国の過去の過ちもしっかりと受け止めて進んでいくことにより、国民としての自覚が持て、世界の平和に少しでも近づけるような感覚がしました。貴重なお話をありがとうございました。

・初めのクイズの中でフィリピンの信仰宗教がキリスト教だったのが驚きでした。確かにフィリピン人の人は英語を話す場面をよくみるし、キリスト教に関わる場面はあるなと感じます。今まで歴史の勉強もあまりしてこなかったので、戦争時のフィリピンと日本に現代まで続くような因縁があったのかと初めて知った。

・日本には敗戦し、原爆の被爆国であり、被害者だと言うテレビ番組などよく目にするが、ほんとうに被害者面し続けていいものかと、(もちろん自分自身には直接的な被害は無いが) 今まで考えてきた矢先に、このような話が聞けて自分の考えに納得というか、合点がいきました。ただフィリピンに対してだけ非人道的な行いをしていたわけでは無いと思うので、他のことにも目を向けて、もちろん、原爆の被害にも目を向けて行きたいです。

・今年の夏フィリピンに留学していたのでとても身近に感じることができました。私の祖父も戦争に参加していた過去があり、亡くなる直前まで戦争をしてはダメだと言っていました。

・知っておきながら行動しないのは知的搾取だという言葉にとても共感してしまったため、今回留学したことで思ったことについて、彼らよりも恵まれている私が彼らに対してできることや何か改善できる方法はないのか考えてみようと思いました。

・今日の神さんのお話を聞いて、戦争から70年経った今でも、戦争や拷問などはやられた側は忘れることができないとても悲惨なものであることが分かり、戦争は絶対にやってはいけないものだと再認識することができた。特にフィリピンでは餓死した人がとても多く、身体的にも、肉体的にもとても大変な思いをしてきたことがビデオを見て伝わってきた。今の若い世代は戦争を体験してきた世代よりも、戦争に対する怖さだったり、戦争がどのようなものなのかっていうのが段々薄れてきていることも実感できたので、これから戦争を経験してきた人がどんどん少なくなってきている中で、自分達が率先してその戦争の悲惨さを伝えていきたいと感じた。

・戦争体験者同士で過去の戦争の体験談を語り合うことで、未来のかたちを考えるきっかけを作るBridge for peaceというNPO法人をはじめて知りました。過去だけではなく、現在と未来とも向き合い、国境を越えて色んな世代とつながりをもち、戦争のない平和な社会を実現するこの活動は非常に興味深いものでしたし、私もいつかここの団体で活動してみたいなと思いました。フィリピンクイズ、とても楽しかったです。

・私は祖父母と同居していた時期があるものの終戦後に生まれているため貧しい暮らしをしていたこと以外はあまり戦争についての話を聴くことが出来ませんでした。今回の講義で、兵士として戦争に参加させられていた方の心の内を垣間見ることができてよかったと思っています。戦争経験のない私であっても心に来るものがあったことと、日本がしたことを恥ずかしながら今回の講義をきっかけにはじめて考えました。動画の長さについて、丁度よい長さだと思っていますが、YouTubeのショート動画などにあげるとより多くの人が見ることが出来るかなと思いました。(既に試みていらっしゃったらすみません)

・今回の講義によって四回生である私だがまだまだ大学生で新しい発見や感動を模索していかないといけないと感じた。神さんが行動を起こすきっかけは大学生であることを聞いたからだ。自分も何かきっかけを見つけたいなと素直に感じた。

・神さんの著書である『ビデオ・メッセージでむすぶアジアと日本―わたしがやってきた戦争のつたえ方』を読ませていただいた。BFPの活動によってこれから先の人々にのこしていくもの、そして語り継ぐことが可能だということ。講義によって学んだことと、読ませていただいたことでBFPは価値のあるものだということを改めて感じた。

・神さんの行動を聞いて、まず感じた率直な感想は「そんなことをして大丈夫?フィリピンの方にとっては逆効果ではないのか?」というものであった。確かに日本人は政府によって洗脳され、国のために戦うという気持ちで戦争していたのであって、後悔の念をずっと持っている人は多いであろうということは容易に想像できた。しかし、それを聞いたからといってフィリピン人は納得できるわけがないと思っていた。ところが、神さんの行動は実際に日本人、フィリピン人がともに過去と向き合い、それぞれがよりよい気持ちと共に未来に進むきっかけとなった。そのことには驚きと感動と、神さんの行動力、影響力への尊敬の念を感じた。

・私はもともと『一人が起こせる影響力なんて知れている。』と考えていた。しかし、神さんの行動は二か国の人々の過去の記憶を動かすというとんでもない影響力である。私の考えはよい意味で覆されたと思った。神さんのように、とあるきっかけをもとに自分ができる最大限の影響力を誰かの明るい未来ために使いたいと感じた。

・今回の講演を通して、戦争について新たなことを学ぶことができて良かった。今までは、第二次世界大戦の日本といえば南太平洋の島々や中国大陸での戦闘のイメージが大きく、現在の日本で取り上げられることも少ないため、フィリピンでの戦闘があれほど大規模なものだったことを初めて知った。

・今回の講演で見た動画で、当時現地にいた日本軍の兵士が当時の経験や心情を語るシーンがいくつもあったが、あの動画で語られている内容は自身の経験のほんの一握りでしかないのだろうと感じ、当時の状況は自分で語るのもつらい程のもので、現在も苦しみ続けているのだろうと感じた。ゲリラに戦友を殺され、本国からの補給は絶たれ、米軍に蹂躙されている極限の状態であれば、どんな人間でも正気でいられなくなるのは当然であり、その状況下で殺人、放火、略奪、強姦などの凶行に走ったとしても個人が咎められるべきものではない。しかし、数十年たった後でも罪の意識を背負い続け苦しんでいる様子をみて哀れに感じるとともに、改めて戦争の悲惨さを確認することができた。また、個人(赤の他人)の戦争当事者間のわだかまりをなくすという目的のために、見返りも求めずボランティアで大規模なプロジェクトを立ち上げ継続できる神さんの行動力に驚かされ、見習いたいと感じた。

・今回の講義を受け、戦争についてより深く、今までと違った視点で考えることができた。私は、「戦争」と聞くと、第二次世界大戦を連想させ、特に広島長崎に投下された原爆が想像できる。また、それによる死傷者は数え切れず、日本は敗戦し、アメリカの被害者として見てしまいがちである。中学や高校の授業でもその様に習ったが、ほかの戦争において目を向けると日本もまた加害者であり、その側面も受け入れなければならないと感じた。

・ 私は出兵された日本兵の当時のエピソードを聞いて、「お国のために戦うのは建前で、みな死ぬときは家族や女房、子供の名前を叫んで死んでいった」と仰っていたのが印象的だった。嫌でも戦争に赴かなければならなかった当時の環境そのものが悪なのであり、兵士一人一人は戦争や人殺しを望んでいなかったのだと感じた。しかし、だからと言ってフィリピン国内の戦争では日本兵は大量虐殺、食糧略奪など、たくさんの非道行為を働いたという事実から目を背けてはならない。両国の当時の想いや背景を十分に理解し、私がこのビデオで学んだ様に後世へと戦争の悲惨さや無情さを継いで行かなければならないと感じた。神さんのお子様がフィリピンの虐殺があった井戸の前でそっと手を合わせた様に、現地には赴かなくても心の中で同じ行動ができる様になりたい。

・神先生のお話を聞いて、戦争時に起こった真実を知らせないといけないという平和に対する思いがひしひしとつたわってきました。その中で私はこの戦争の真実を知っているということを現代の若者の常識にするべきだと伝えられている気がしました。

・現代の若者は過去となった人々のおかげで、世界大戦のような規模の悲惨な戦争を経験していません。それは何よりもありがたいことのように感じますが、裏を返せば、戦争の恐ろしさを直に知る者がいないということになります。もし、万が一の未来、戦争が起こることがあるのであれば、「知らない」というのは、いけないことのように感じました。今の政府は過去の生々しい真実をあまり口に出していないように感じます。もっと出していくべきではないかと神先生のお話で考えました。

・私は今回の神直子さんの公演を聞いて、これは軒並みな感想になってしまうかもしれませんがとても感動し、考えさせられました。私自身、戦争で夫を二人失った経験のある曾祖母の話を聞きに行ったり、戦争が題材の本を読むなど昔から戦争に対して関心はありましたが、実際になにか行動を起こしたことはありませんでした。なので、神さんがフィリピンまで行って話を聞いたと知って、今まで関心はあってもなにも行動に起こせていなかった自分が少し恥ずかしくなりました。また、今回の講義の主題でもあったフィリピンでの戦争の話を聞いて改めて戦争は起こしてはいけないものだし、日本もどこかの国からすれば加害者であるということを再認識することができました。日本が加害者になっているわけがないと思っていたわけではありませんでしたが、やはり日本の戦争の教育といえば第二次世界大戦でおこった原爆投下に焦点が当てられたり、平和学習でも原爆についての授業ばかり行われていたため、無意識のうちに日本は被害者であるという意識があったのかもしれないと思いました。なので、これからは日本の平和学習でも日本も加害者であったことをもっとしっかり伝えていくべきなのではないかと思いました。

・私が今回の講義で見せていただいたビデオのなかで最も印象に残っている言葉は「一日戦争をすれば人が死ぬ。毎日戦争をすれば毎日人が死ぬ。」という言葉です。一見シンプルで当たり前なことですが、この言葉に戦争をしてはいけない理由が詰まっているように感じました。逆に言えばこの言葉の意味がわからないから戦争が起こるのではないかと思います。それ以外にも、動画内で出てきた「自分の撃った弾の先で何があったかわからない」という言葉もとても印象に残っています。いつ自分が殺されるかわからない状況でゲリラと地元住民の区別がつかなくなるのは当たり前だと思いました。もし自分がその立場でもそうなっていたと思います。また、そういったことに対して罪の意識はずっとあると言っていた方がいたり、ずっと心残りになっている方がいたり、亡くなるまで悔やんでいた方がいたという事実に胸が苦しくなりました。殺した人も恨みがあって殺したくて人を殺したわけではないのに、罪のない人まで殺してしまったというのはとても苦しいことだと思います。兵士たちが死ぬときに愛する人々の名前を叫んで死んでいったという話から、残された人の気持ちを考えるとやるせない気持ちになりました。殺された人も、その人を大切に思っていた人も、殺した人も、だれも幸せにならない戦争に何の意味があるのでしょうか。私には何の意味も感じられませんでした。なので、私は戦争がこの世からなくなればいいと思いました。私一人の力はとても小さなものですが、神さんのように戦争に対して何かできることがあるならばしていきたいと思いました。

・神直子さんの講義では、神さんが行っている活動は、旧日本軍の被害にあったフィリピンの人々やその関係者と、旧日本兵として¬フィリピンにいた人々にインタビューし、その内容をビデオにすることでフィリピンの人に見てもらう、また日本の人にもみてもらう事で、両国の人を結ぶことを目的としたものだった。私は、NHKの番組やニュースや歴史書などで旧日本軍の人の遺骨が東南アジア等の地で未だにたくさん眠っている事、アメリカ軍がポートモレスビーやガダルカナルなどで勝利した後、フィリピンのレイテやルソン島などで激戦が繰り広げられたこと、最初は友好的な関係があるところもあったが、戦況が悪化するにつれて、現地の人々にとって最悪の出来事が起きていったことは既知だった。しかしながら、神さんの活動によって作られたビデオを見て自分がフィリピンの人だったらと考えると改めて申し訳ない持ちになった。戦況が悪化するにつれて悲惨な出来事が増えていった中で、世界大戦という総力戦をどこまで当時の日本人が理解していたのかという思いを持った。ただ、フィリピンの人が苦しみや怒りを持っているなかで、それでもその関係者や当事者の人の中に、神さんのように、そういったことがあったと言うことを調べて考えている日本人がいるということを認めてくれ、未来志向の話をしてくれているところに救われたような気持ちになった。また、今回の講義とは直接関係はしないが、個人的には旧日本軍が食糧の現地調達をしていた点で、戦争では兵站などが重要であるにも関わらず目的を見失ったまま戦争を継続してしまったと言う点で、ここから見える反省点を活かしていくべきだと思った。

・中国やアメリカとの戦いに焦点が当てられがちだが、フィリピンなど他の国にも大きな被害を与えていたことをあまり知らなかったので、日本人としてももっと知っておかないといけないなと思った。また、海外の人の日本から受けた被害や日本人がやったことを実際に現地にいた人に話を聞くことはなかったので、さまざまな話を聞いて多くの衝撃を受けた。今では滅多に生の声を聞くことはできないと思うので、とても勉強になったし、これからも多くの人に聞いてほしいと思った。

・私は今まで戦争について深く考えたことはほとんどなかった。歴史は授業で少し習った程度で、今ではほとんど記憶に残っていない。神さんの話を聞くまでフィリピンで行われた日本兵の蛮行どころか、日本がフィリピンを支配していたことすら忘れてしまっていた。私は決して歴史に興味がないわけではなく、むしろ興味がある方だと思っていた。しかし、今回の講義を聞いて、私は何も知らないのだということを思い知らされた。私は戦争と言われると核の被害にばかり目を向けてしまい、私たちが他国にしたことについて目を逸らしていた。しかし、私たちが学ぶべきは加害国でもある日本の姿なのかもしれないと思った。

・フィリピンの方々の話や元日本兵の方々の話を聞く機会は今までなかったため、とても衝撃を受けた。フィリピンの方が「日本人なんて見たくなかった」と言った理由がよくわかった。家族を目の前で殺し、村を焼き、食糧を略奪した日本人の子孫など見たくないのも当然だと思った。また、元日本兵の方々の話を聞く中で、頻繁に「でも仕方がなかったのだ」と言っていることが気になった。話を聞いているうちに「仕方がなかった」と言い聞かせなければならないほどの深い後悔に苛まれているのだということに気がついた。誰かに相談することもできず、1人で抱え込むには大きすぎる後悔に苛まれ続けた姿に胸が痛んだ。

・元日本兵の方がおっしゃった「戦争をするということは誰かが亡くなるということ」という言葉が戦争の全てを表していると思う。戦後世代の私たちは戦争を実際に経験したことはないが、先人たちの過去を知り、受け止め、戦争の恐ろしさを後世に伝えていきたい。

・特に印象に残った言葉は、日本は被爆国であると同時に、被害を与えた国であることを知らなくてはいけないということである。

・私も講師の方と同じように日本史はすきではなかったし、学ぼうとはしなかった。しかし、ドイツ人の方の話を聞いてからは、今からでも日本史、世界史を学びなおしたいと思った。私が日本人であることと、日本が過去にひどいことをしたという事実が変わることがない。日本のことを知ることには大きな意義があることだと思った。過去についても、政治についても、である。

・ 次に、戦争を経験した人の話を聞いて思ったことがある。率直に思ったことは、「人を殺したのは国からの命令であるからだ。」という言葉が言い訳に聞こえてしまった。しかし、戦争を経験した人達は、私たちには到底想像のできない苦労と状況があったのだろうと思うし、私が彼らの立場であったら、正直何ができるかはわからないし、同じようにしてしまったかもしれない。「生きていてよいのか」という言葉は自分のしてしまった罪を正面から向き合っているからこそ出てくる言葉であると思った。

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