名市大「平和論」(2020.10.22)

2020年度「平和論」第4回「未来のために戦争体験を発掘・継承する」受講生リアクションペーパー

・話せる、ということ自体が、共感などに関わらず、自分の心を癒してくれるということは、今回に比べスケールは小さいものの自分にも経験があるので、元兵士の方々はある種救われたような気がしたのではないかと神さんの話を聞きながら感じていました。せめて身内の安全を願った、や(最後に叫ぶのは天皇万歳ではなく)子どもの名前 という言葉が強烈に印象に残っています。戦争期は洗脳状態だったとか(特攻隊は)ナショナリストのテロなんて言葉を聞いたことがあり、本当にそうなのかと疑問に感じたことがあったこともあり、そんなことはなく家族が大切だったが出兵するより仕方がなかったような人も少なくとも数名はいたという証拠が聞けて、良かったと思いました。

・戦争について学ぶときに被害者の立場しか考えることはなかった。加害者も苦しんでいたことを知り、とても驚いた。これからの戦争について伝えるときにとても必須だと思う。

・今回の授業を聞き、それぞれの立場以外だけでなく、相手の立場にも立って出来事を考えることが平和につながるのではないかと考えた。しかし相手の立場にも立って考えることばなかなかできることではなく、そのために「ブリッジ・フォー・ピース」のような活動が必要なのだと感じた。

・正直私はフィリピンは親日家が多い、というイメージが多かったので、日本人であるというだけで会いたくなかった、話したくない、そう言われるという話が信じられませんでした。戦争が終わったのは、50年前とかであっても、心の傷は全く癒えていなかったんだと分かりました。自分には一生癒えない傷というものがないから、同じ国籍というだけで嫌悪する感情は全く理解できませんが、それほど戦争は人と人の関わりをめちゃくちゃにするのだと分かりました。 また、同じ戦争をとっても、被害者側、加害者側どちらにも傷が残るものであり、その両方の話を聞くと、また違った視点が生まれることは、確かにそうだろうな、と思いました。

・大学生のときにフィリピンに行き、そこで「日本人になんて会いたくなかった」と言われたという話が衝撃的でした。私だったら怖くて知的搾取をするのみで何も行動を起こせないかもしれないと感じました。私も少しずつ行動できる人間になっていきたいです。

・よくドラマを見ていると戦争の死に際に「天皇万歳」のような言葉を叫んでいるシーンを見る。僕はその気持ちが分からず戦争をすると思想も変わるものなのかと考えていたが、実際にフィリピン戦争を経験した方の映像を見て、やはりお国のためにと考えて戦っていた人が少なかったことを知りなぜか安心した。「死に際に恋人や家族の名前を叫ぶ人がほとんどだった」とお話しされていたのがとても印象的だった。私の祖父も第二次世界大戦の時生きていたが当時は7歳だったようで記憶があまりないと言っていた。戦争の記憶を後世に伝えようという言葉をよく聞くが正直実際に戦争で戦った人の話を聞いたのが今日が初めてだった。もう、戦争の記憶を本人から聞けることはほとんどないのではないかと思う。そのため神さんのインタビューはとても貴重で大事なものであると思う。戦争に勝者はいない。本当にそのとおりであると思う。江戸時代を超える平和が築かれることを祈るだけでなく自分でもできることを考えていきたい。

・今回の平和論のはなしを聞いて感じたことは何事にも行動を起こそうという努力が必要だということです。将来自分がやりたいことを見つけたときは必ず行動を起こそうと思いました。

・戦争を体験された方々の中で家族にその話をしたがらないということが非常に共感しました。曾祖父に戦争のお話を伺ったことがあるのですが、神先生がお話されていたように、その伺った話を祖母は聞いたことがなかったみたいでした。貴重なお話を他の人が積極的に聞きにいき、後世へ伝えていくことにものすごい価値があると感じました。それから、動画の中で、戦争に勝ちはないと仰っていた方がいました。自分にとってこの言葉はどこか新鮮でなるほどたしかにそうだと感銘を受けました。戦争が始まってしまえばどちらも何かを、誰かを失ってしまう。どちらも戦争と表裏一体の平和を手放してしまう。すなわちどちらも負けであると、新しい考えを持つことができました。よりいっそう戦争に否定的になれた気がします。

・今回の授業は今までの平和論の授業のなかでもひときわ重い問題についてのことだったと思います。最初の加害者も被害者と同様に傷ついているという言葉から改めて戦争は悲しみしか生まない物だということを再認識しました。フィリピンの方々に元日本兵のビデオを送ることは批判の恐れもあっただろうに実行する勇気に敬服しました。また家康に平和を学ぶというテーマも斬新で面白かったです。 

・本日のお話しを聞いて、現在の平穏がいかに落ち着きのあるモノなのかということを再認識しました。僕の家族には、戦争経験者の人はいないため、どれも外から取り入れた知識になります。しかし、どの話も今からは想像がつかないモノでした。本日の講義中に流れた動画の中の戦争での加害者の人の、たとえ命令されてからと言って、犯罪者なのは変わりないという言葉が特に印象的でした。なくなっていくからこそそのことを伝えていくことの大切さを再認識できた価値ある時間だったと想いました。今後伝えていく側としての自覚をしっかり持ち、見解を広げていきたいと思います。

・本日はありがたい授業をありがとうございました。新たな視点を得ることでき、とても身になりました。「平和論」と聞くと私は、世界史選択だったこともあり、パクス・○○○や、冷戦以降のことが頭に浮かびます。しかし日本には江戸時代という最長の平和があります。それを思い出させていただけたことは自分にとって非常に聞く価値のある授業でした。戦争では虐げた者と虐げられた者、加害者と被害者があると自分は思っています。日本は西欧諸国からの被害者であり、東南アジアに対しては加害者だと思っていました。これは決して間違っているとは思っていません。しかし、国単位ではなく人単位で見た場合には必ずしもこうはならず、戦争に出向いた日本人は日本国の被害者の一人なのだと知ることができました。人単位の視点は教科書にも載っておらず、この視点を持ったことがありませんでした。戦争で相手を傷つけた者はもちろんのこと、傷つけた本人も戦争の被害者である。これは平和を語る上では外せない視点であると思いました。

・歴史の教科書では「大戦中では日本はアジアの各地に侵略し、そこで現地の住民を奴隷のように扱い、資源を搾取した。」というような表現しか表記されていなく、現地の状況はよくわからなかったのですが、今回の授業で現地の声を聴けて良かったです。戦時中に旧日本軍に大きな傷を負わされながらも、日本に歩み寄ろうとしてくれる人がいたことをうれしく思いました。

・戦争や貧困などの深刻な社会問題を知り、心を動かされながらも、何も行動しないのは知的搾取である、という言葉がとても心に残りました。私自身、小学生の時から、平和や戦争については何度も何度も学んできているので、戦争を繰り返してはいけないことや、平和を維持していかなければならない事はよくわかっているつもりだが、実際に何か自分で行動した事はありません。唯一、数ある大学の教養の講義のなかから、興味をもってこの平和論の講義をとったことくらいです。知的搾取という考え方を知って、平和戦争の悲惨さを学ぶ機会を与えられている以上、何も行動しないのは無責任だと感じられたので、今すぐに自分が出来ることを具体的に考えてみました。平和に関する活動に参加することはやっぱりハードルが高く、今すぐに始めることは私にとって現実的でなかったので、この講義をとったように、せめて平和や戦争に関して興味を持ち、少しでもよく知ろうとする姿勢を保ち続けることをしようと決めました。また、フィリピンと日本の関係の映像の中で、家族を日本人に傷つけられたフィリピン人が日本人に会いたくなかったと言っていた所、日本人がフィリピンに訪問し日本兵の今の思いをきいたことでフィリピン人が日本人を赦そうと思った所から、日本人は日本人とまとめられてしまうことを改めて感じさせられました。日本人全員がフィリピン人を傷つけた訳では無いのに日本人全員を憎んだり、映像中の日本兵がそのフィリピン人の家族を傷つけた本人とは限らないし、フィリピンを訪問した日本人は戦争を経験してさえいないのに彼らの言動により日本人を赦そうと思ったということでした。自分以外の日本人の言動によって日本人である自分のイメージも決められてしまうことは不服だとは思うが、反対に、自分の言動1つで外国人にとっての日本人の印象を大きく変えてしまうことに責任を感じました。平和や戦争に関することに関わらず、海外旅行をする時や日本の中で外国人と接する時も、相手にとっては自分が日本人代表として評価されている自覚を忘れてはいけないことも、学ぶことが出来ました。

・素敵な講義をありがとうございました。僕は、戦争という話題を考えるときに、海外の人から見た日本人像について考えたことがありませんでした。こういった話題を考えるとき、一定のニュースや教科書に基づいた固定観念に捕らわれないように注意しないといけないと思いました。

・日本がフィリピンのことを占領しているのは知っていたけど、こんなに恐ろしい経験をした人がいるということは知らなかったし、今回の授業を受けなかったら知ろうともしなかったと思います。神さんの活動にはとても感銘を受けました。私達と同じくらいの頃は具体的に何かしたいと思っていなかったけど様々なターニングポイントに出会って点が線になったというお話がとても心に残りました。私は今将来なにがしたいとか目標が全くありません。しかし時間があるのは今だけだから色々な知識を知りそのきっかけを自分から探しにいこうと思いました。今日の授業も私にとっては平和に対して興味を持つ大きなきっかけになったと思います。この思いを忘れないでもっと興味を深く掘り下げたいと思いました。

・日本人なんて見たくなかったと言っていた人の話を聞いてさらに平和の実現は難しいと思いました。過去のことを水に流してこれからは仲良くやって行こうと言うのはあまりに酷ですが、それに拘っていてばかりではなにも進まないのが難しいところだと感じました。当時の日本兵の方々が悔やまれている動画もありましたが、やはり、その次の世代である私達が行動に移し、現状を変えて行かなくてはならないと思いました。

・今日は戦争体験者についてお話をきかせていただきました。実際に戦争にいった日本兵の方のお話を聞くのは初めてで、その方々が現在どのような思いで生きているのか、軍命で行った戦争に対して当時を振り返ってどう感じるのかなどお話を聞いていろいろと考えさせられました。また、被害者であるベトナム人の方のお話をうけて、やはり武力行使による戦争は無意味というか何も生み出さないものだなと感じました。

・今回のお話を聞いて戦争の残酷さを痛感しました。今日のビデオで「戦争は人間を狂わせる」という言葉がありましたが、その通りであると思いました。フィリピンの方が日本兵がしたことが許せない、日本という国が憎いと言っている人がいるのは、目の前で親族が殺されたなら当然のことだと思います。原爆で被爆した人はアメリカが許せないという人もいると思います。しかし、本当に恨むべきは国ではないと考えます。現地で人を殺した日本兵も上官の指示に背くことができなかったという人が大半であると思います。殺害自体は悪いことですが、本当は誰が悪いと決めることはできないと私は思います。しかし、私も目の前で親族がもし殺されたら敵国を一生恨むと思います。そのように争いが争いを呼び、終わることがないため戦争はあってはならないと思います。平田先生がおっしゃっていた「戦争はなかなか終わらない」という言葉の意味を実感しました。また、神さんが起こした行動を聞いて、とてもかっこいいなと感じました。一人の勇気ある行動が様々な人に伝わり大きなムーブメントになるのはとても素晴らしいことであり、このような人が全世界に広がれば戦争など起きることがないと本気で思いました。

・外国の人たちと関わる機会があるカフェのことを今まで知らなかったので行ってみたいと思いました。自分は3年生で就活などが忙しく留学に行くことが難しいのでこのように関わる機会があることはいいことだと思いました。今では昔より気軽に外国の人たちと関わることができるので平和へどんどん近づいていることを感じました。観光=平和という発想は今までなかったのでこれから海外に旅行するときは平和に感謝していこうと思いました。また自分は海外の情報をニュースくらいでしか聞かないので偏見があるのでちゃんと当事者の意見、考えを聞いていく必要があると思いました。

・今回この話を聞かせていただいて、小中学生の時代に戦争の話を聞くときは大体が原爆の事であったりと、日本が被害者側の話しか聞いたことがなかったですが、今日初めて加害者側の話を詳しく聞きました。フィリピンの方々の話を聞いて、私からすると戦争なんて昔のことで、どこか遠いものだと思っていましたが、実際にまだ身近な事なんだと再認識することができました。自身がフィリピン戦について詳しく知らなかったのは、無知であったことも恥ずかしいですが、学校教育やメディアの問題もあると思います。この問題の解決に対して私たちができることは、神さんの話の中にもありましたが、戦争を知らない若い世代が興味・関心を持ち広めていくことだと理解できたので、できる範囲で実践していきたいと思いました。

・私は今日の講義の中で、実際に戦争に関わった人たちの話を聞いて、思わず泣いてしまいました。特に、日本兵の方が死に際には家族や大切な人の名前を呼んで死んでいくというのを聞いて、加害者といわれる兵士も戦争がなかったら、人を殺すことも、家族を想いながら他国で命を落とすこともなかったのかなと思うととても悲しくなりました。 神さんは、フィリピンの方に元日本兵の方の思いを伝えるために、元兵士の方のお話を上映しているということを聞いて、その行動力に感銘を受けました。私もこれをきっかけに、たくさん学んで、何が自分にできるか真剣に考えて、それを実践したいと思いました。

・神さんの体験されたことを聞いてとても驚きました。私は、日本人に家族を殺され日本人のことを恨み続けていたフィリピンの方がいらっしゃることを知りませんでした。知らなかった自分の事が情けないと思ったし、今回知れて良かったと思いました。無知は何も生み出さないと思いました。日本で戦争の被害にあった方のお話は修学旅行で長崎に行った時に聞いたことがありましたが、戦争で兵士として人を殺したことのある人のお話は聞いたことがありませんでした。死ぬまで自分が戦争でしたことを悔やむような倫理観を持った人が、戦争においては人を殺していたという事実はとても恐ろしいと思いました。私たちが戦争を過去のもので自分に関係ないものとは捉えずに、戦争で何が起こったのか、戦争が人々に何をもたらしたのかを知り、戦争を決して、二度と起こさないという意思を示していくことが本当に重要だとわかりました。

・神さんのフィリピンのツアーの話を聞いたとき、広島の献花やミンダナオ島での犠牲など日本も戦争のことを毎年忘れないという態度をとっているが、被害者であることは強調していても加害者であることはあまりテレビでも取り上げられないことに気が付いた。踏まれたことは覚えていても、踏んだことは覚えていないという言葉があるように、誰しも自分が加害者であることを認めたくない、思い出したくないという気持ちがあると思う。しかし、その事実を敢えて知るツアーや活動を行うのはとても勇気がいることだと強く感じた。戦争を忘れないということは大切であるが、自分が加害者であることやその被害者がおり、どちらも苦しんでいるということを忘れないこともそれ以上に大切だと改めて感じた。また、ビデオでフィリピンの男性の方がおしゃっていた「戦争ではだれもが犠牲者、勝者はいない」という言葉がとても胸に刺さった。戦争に関わった国、もちろん日本も、被害を受けたことは事細かに覚えているが、自分達が犯した罪はあまりきちんと認識していないのではないかと感じる。二度と戦争を起こさないためにも、戦争で傷ついた人々の思いを聞くなどの、戦争を知らない今を生きる人間として何か平和のための活動を探してみたいと感じた。

・今日の講義を通して、戦争とは本当に色々な人を傷つけるものなのだと改めて痛感しました。 被害者はもちろん加害者も悔やみ苦しんでいるという言葉がとても印象に残りました。今まで学校の授業などで平和について学ぶ機会がありましたが、空襲の話や原爆の話など被害者としての側面を学ぶことはあっても、加害者としての側面についてはあまり学んできていないため、今回の講義のなかで当事者の方々の話を聞くことが出来てすごく貴重な経験になりました。 目の前で親が殺されるという経験などは、アフリカなどの内紛が続く国々で起こる出来事だと思っていましたが、それがフィリピンという身近な国でも起こっており、しかもその加害者側に立っていたのが日本兵だったということがすごく衝撃的でした。そのような経験をした元日本兵の方々が死の間際まで悔やみ苦しんでいたという話もとても胸が締め付けられるような気持ちになりました。 知的搾取というお話がありましたが、私たちは祖父母などから戦争体験の記憶を直接聞くことが出来る最後の世代だと思うので、お年寄りの方々から聞いた戦争についてのお話を次世代の人々にきちんと継承していかないといけないと強く感じました。そして、終戦からどれだけ時間が経ったとしても「戦争」について考え続けることが平和維持の大切な要素の一つだと感じました。

・今回のお話を聞き、改めて当時の戦争の凄惨さについて考えることができました。誰もが不幸になっていることが映像から伝わってきます。戦争の苦しみが戦場でのみ起こるわけではないということの意味が詰まった内容だと思いました。フィリピンの方々のお話の中にあった、日本人を赦すというフレーズも、フィリピンで被害に遭った方々全員が納得できるというわけではないはずです。当然ですが亡くなった方、失われた時間は戻りません。逆に、日本兵の方々も、してはいけないことをしてしまったという罪の意識を生涯かけて背負い続ける被害者であるということが、いかに辛いことか考えることができました。戦いが終われば戦争が終わる訳ではないことをよくよく理解し、戦争の被害者とは何なのかを深く考えたいと思いました。

・私は「戦争は誰もが犠牲者 勝つけど何かを失っている」(映像通りの言葉ではないが)という言葉が非常に共感を得た。戦争を始めるのは国とその指導者、しかし実際に戦場に出るのは国民である。国民にはなにも罪はないのだ。その人たちが映像の中で苦しい心の内を明かしている中での「誰もが犠牲者」という言葉は、戦争で苦しむ人々の心のもやを少しは晴らしてくれるのではないだろうか。戦争体験者の世代が高齢化になり、生の声を聴くのは今が最後のチャンスだと思う。私も、そういった体験をしてみたいと思った。

・今回の講義で心に深く残ったのは、見たこと、知ったことに何もしないのは知的搾取であるという言葉です。大学に入ってから、高校までとは一転して、「今」世の中で起きていることに深く直にかかわる勉強をして、これからの私たちがしていくべきことを考える機会が増えました。しかし、大学の授業時間以外で吸収することは増えても、自分がどう変化のために寄与したらいいのかがずっとわからないままでした。 神さんは、実際に自分と同年代の方との意識の差に驚き、フィリピンでうけたショックによって行動を自ら変えていったということを聞き、私は今まで、海外に行けていないし、兄弟が多くてそんなお金の余裕もないし、とできない言い訳ばかり考えていたなと思いました。でも、実際自分発信できっかけをつかんで動き出すことが大切だし、今のインターネット技術も活用すれば行動の幅は無限大なのではないかと思いました。 戦争に関して、私の祖母は岐阜の空襲を体験していて、サツマイモなどを見ると「食べるものがなくて畑から採っていったし、お金を稼ぐために布をつくるお手伝いをしていたな」と戦争のことを話します。今回の講義で仰っていた通り、戦争体験者の方たちは今後減少していく一方であり、伝えていく主導者は若い世代でなければどんどん記憶から薄れてしまいます。形式上の加害者も、被害者も戦争に関わったすべての人が癒えない苦しみを抱えていて、その子孫もそれを背負う形になる、ということを改めて強く学びました。憎しみからは何も生まれない、などと言いますが、それを少しでも緩和していくのは対話であり、分断せず繋ぎとめることが不可欠であると感じました。話を聞く、話す、映像作品に残す、SNSでの発信、手段は自分が選択すればなんでもあるという気づきを与えてくださったことに本当に感謝していますし、まずは知ることから始めてどんどん影響の輪をひろげていかなければならないと強く思いました。 様々な社会問題を学びだし、考えることが増えてよくわからなくなってしまっていた今、大学1年生のこの時点で神さんの講義を受けることができたことをうれしく思います。

・初めは、日本人を拒絶するフィリピンの人に日本兵の証言を聞いてもらうことは残酷ではないかと思いました。しかし、実際に証言を聞いた一部のフィリピンの人が日本兵の苦しみを理解し、赦すとまで言っていたことに驚きました。この時、日本とフィリピンではなく人と人として交流することで理解しあい過去を乗り越えたり、憎しみの連鎖に終止符を打つことができるのだと思いました。私の曽祖父は海軍軍人で、昭和20年の4月にフィリピンで戦死しました。曽祖父の軍歴について詳しいことはわかりませんが、この授業を受ける前まで、フィリピンの人を苦しめた日本兵の中に曽祖父もいたのではないかと思い、授業の話をどう受け止めたら良いかとても迷っていました。授業を受けて、過去をなかったことには出来ないし償いもできませんが、せめて、戦争の出来事をしっかりと学んで繰り返さないようにしなくてはならないと思いました。また、日本兵は加害者だと見做されがちですが、実際は意思に反して徴兵された被害者の側面もあるのだと初めて知りました。こうした戦争体験者の話はとても貴重なので、しっかりと残していかなくてはならないと思いました。貴重なお話を聞けてよかったです。ありがとうございました。

・私が今回の講義の神さんの話の中で印象に残っている話はフィリピンの人々が日本人に対して深い嫌悪感をいまだに抱いているということだ。別にそれを思うことが馬鹿馬鹿しいではないかといいたいわけではなく、戦争によって与えられた傷が戦後70年以上たったいまでも癒されることはなくとても深い溝になっていると改めて実感させられた。また、部外者だからこそできることがあるという話にもかなり関心がある。どうせ話を聞くことしかできないのではないかと内心自分の中で限界を感じていた部分もあるのだがそれでも神さんのように平和の橋を架けることができた人がいるように我々にもまだまだできることはあるのだと実感した。また、今回の話で先日平田先生がおっしゃっていた戦争はなかなか終わらないという意味も間違っているかもしれないが少し理解できた気がした。

・私自身、恥ずかしながら、フィリピンと日本の間にある戦争によってもたらされた負の記憶があることを知らなかったこともあり、今回の講義は非常に驚かされる内容が多いとともに新鮮で重要な学びが多くあるものであったと感じました。「戦犯になってしまった過去をもつ人々の声を改めて届ける」というかたちで戦争によって埋められない溝を負った二国間に「架け橋」をかけるという活動をするためには、まず相手の国の人々を「信じる」という過程がなくてはならないと感じ、神さんの活動においてその過程をもたらした、活動を決定的に後押ししたものは何だったのかと考えていましたが、今回の講義を通して、神さんが様々な人々との出会いを通し、学び、自分の中の点を線でつないでいく作業を人との出会いと学びを通しながら行ったのではないかと感じ、私自身もこれから訪れるであろうあらゆる出会いや学びに対して能動的にそれを受け取り自分の中に取り込み、それらを活動の原動力にできるような人間でありたいと感じました。

・今回の講義を受けて、日本人目線の戦争の経験を聞かせてもらう経験はあったが、日本によって被害を受けた国の人の話を聞くことはなかったので、日本が加害者側の意見を聞くのは新鮮だった。フィリピンの方が日本人の話を聞いて赦しますと言ってくれていたことが印象的でした。一方で映像会に参加していない日本を恨んでいるフィリピン人の方がいることを忘れてはいけないなと思います。ただ、若い世代がこのことを知っていくことが平和へとつながると思うので、素晴らしい活動だなと感じました。

・今回は本当に国際館での平和特に「日本とフィリピンの戦争体験を共有した事」について本当に泣けました。終わった後にも交流をさせていただきましたが、私はフィリピン人で7歳まで過ごしていたので、ドラマを通じて「昔の日本は野蛮である」というイメージがとても硬かったと感じております。しかし、身近な商品はほとんど日本製ばかり、取材でも言っていた人もいるのですが、なかなか遠くへおいてしまいたいのに近くな関係を持ってしまっている国だから難しい心境ですよね。そして最後に平和のことについての質問に答えてくださりありがとうございます。「まずは知ること」確かにそうですね。知らないことでは未知の恐怖が芽生えてより一層憎悪が出てくるだけです。でもなかなかできないんですよ、今の若者でも、本当に。自分は靖国神社を訪れたり、元特攻隊の人の話を伺ったりしておりましたが特に靖国神社は周りもとても反活動が活発化しており、なかなか若者が入るような環境ではないですからね。でも自分も知って、何かあるたびに出していきたいと思います。本当にありがとうございました。

・講義全体を通して平和を考えるうえで大切なことを改めて再確認しました。個人的には「見たことや知ったことに対して何もしないのは知的搾取だ」という言葉が印象に残りました。今と将来の生き方について悩んでいる真っ最中だった私の心にとても突き刺さりました。大学生になり多くの場所からたくさんの情報を手に入れているのに忙しい、今じゃないと言い訳を作りいろいろなものを手放してきました。未来が見えなくても、動いてみないとわからないのだから、動くべきなのだと感じました。また、平田先生の戦争はなぜいけないのかに対する答えの意味、今日の講義を聞いて一つ追加します。戦争がかたちとしては終了してもそれに関係した人たちには残り続けます。これも、戦争は終わらないからの意味に含まれていると、日本兵やフィリピンの方のお話を聞いて考えました。

・とても有意義なお話を聞くことができて、この授業を履修してよかったと思いました。実際に多数の日本人の方が体験を話しているビデオを見ると、戦争は本当に過去に起こったことなんだと、今までで一番実感することができました。今日の授業では覚えておきたいことが多くたくさんメモを取ったのですが、特に、感情が高ぶっているときは相手の立場を思いやることが難しいということが印象に残りました。そしてだからこそ第三者の介入が大切だということも納得できました。今日の授業を経て行動を起こす機会があれば積極的に参加したいと思いますし、神さんの活動を心から応援しています!

・私たちは自分の国の歴史的な知識を得ることの重要さを改めて感じたし、それに加えて今ご存命でいらっしゃる数少ない日本兵の方々の実際の声に耳を傾けるのもとても大切だと思いました。過去の出来事を正確に知り、お互いを受け入れてこそ平和は作られるんだなと思いました。204631 後藤薫瑠

・私が今回の講義で印象に残ったことは2つあります。1つめは神さんの「交流すれば相手の国とは絶対に戦争をしない」という言葉です。私は現在外交する上で政府に足りていないのはやはり「交流」だと思います。戦争をしないためには、現在のアメリカと中国のように国家間の形式や見栄にとらわれるのではなく、相手の国ともう少し個人的な交流が必要だと考えます。印象に残ったことの2つめは、元日本人兵士だった人たちが「戦争が終わってから自分のやっていることを悔やんでいる」ように見えたことです。「戦争中は冷静だった」という言葉には衝撃を受けました。ナチスドイツのアイヒマンにも見られるように、本当に戦争は人の情を奪い、変えてしまうものなのだと改めて気づかされました。そして自分のやったことを終わってから悔やむというのはどれほどつらいことだろうと思います。誰もが「戦争の被害者」なのだと感じました。また、今回のお話を聞くまで、日本が加害者側にあるという感覚はほとんどありませんでした。日本の平和教育の中で「加害者としての日本」をもう少し学ぶべきなのではと思います。

・歴史の事を自分事としてとらえられたというお話を聞いて、中国ではおい国主義教育が盛んだということを思い出しました。私には中国人のお友達がいます。彼は愛国主義者です。「海外では核の開発をしている時代辺りで、中国は各国に植民地にされていきました。その時、海外で技術も地位もある中国人が地位を捨て中国に帰り、技術を導入したという歴史があり、私は彼らを尊敬している。だから、彼らの守った中国を大切にしたい。」と言っていました。話は長くなりましたが、自分の国の過去から国を大切にする心を持つことが親しみがなくて、あまり共感できませんでした。BC級戦犯の方のお話は、共感しました。 自分も、戦争を知らない世代で戦争をした人たちの想いを考えることがなかったです。 戦争の話をしてもらうことが当たり前に思っていました。話す側の気持ち、考えたことがありませんでした。 ろうそくをともしに行った帰り、様々な日本製品を自分は使う 戦争は誰もが犠牲者 戦争を知らない私たちが引き継いでいくことって、重いなと思います 神さんは、明確な意図をもってずっと進んでるのが 私の目指す姿なので、目指して頑張りたいなと思いました。 平和=忘れない事・皆が戦争を知っている状態っていうのが響きました。私も忘れずに挑戦していきたいです。

・今日の講義では日本がフィリピンを侵略し、3年間3年間統治した時に日本の軍人が多くのフィリピン人を虐殺したことを反省する内容の講義を受けた。フィリピンの人々も韓国のように反日感情を抱いていることを初めて知って少し驚いた。なぜなら日本に対してよくないイメージを持っている人が多い国は今まで韓国と中国だけだと思っていたからである。しかし、夫を日本軍に失われたフィリピン人のインタービューで、日本がこうして自発的に反省してくる姿をみて恨みは残っているが将来的には両国の関係がよくなるのがいいという話を聞いて様々思いが頭の中に浮かべた。韓国では日本との歴史問題で関係がよくない。このような悪循環を切るためには歴史は知った上で、同じことを繰り返さないことが大事だと感じた。感情に支配されて互いを憎む言葉は決して解決策には慣れないと思った。

・わたしは正直に言ってしまうとあまり勉強に意欲的に普段取り組めている方ではないのですが、今回の話は思わず食い入るように最初から最後まできいてしまいましたし、もっともっと詳しく知りたいととても思いました。神さんがの授業の中で言っていた言葉でとても印象に残っている言葉があって、みんな自分の立場からしか物事を考えられないから、相手の立場を知ると考え方も変わってくると言っていたことです。フィリピンのおばあちゃんが日本兵の立場からの気持ちをしらなかったように自分の中で悲しみや怒り、悔しさがいっぱいになっているときは、相手の気持ちをなかなか知ろうとすることが出来ないなと思います。でも、神さんたちがお互いの思いを届ける橋となることで救われる人々がたくさんいて、とっても素敵な、意味のある活動と感じました。また、フィリピンの日本兵に自分の家族を殺された方々が、元日本兵のメッセージを聞いて、わたしは彼らを赦しますといっていて、わたしだったらそんなことは出来ない気がして、とても優しく強い心をもった人たちだなと思いました。

・私はこれまでたくさんの学ぶ機会を得ることが出来ました。そのたびにこれが大切だ、こんなすごい活動があるという情報が入ってきました。自分はその大切さを理解することが出来るのですが、そのすべてに反応すること、そのすべてに行動することは出来ませんでした。そのたびに、行動出来ない自分とやりたいこと、理想が混在して、苦しい気持ちがありました。今回、神さんの話をうかがって、これから自分が一番大切にしようと思ったことは、たくさん悩むことだと思いました。結局自分が何もしていないのは、自分の原動力となる何かを得られていなくて、そして、考え抜けていないことが原因なのではないかと思いました。私は平和についても、他のことについても、大切なことを理解している途中です。でも、大切なことに対して、行動はしていません。もう少し、たくさんのことを考えたいと思いました。
・平和のために自ら行動しなければならないということを改めて強く実感する講義でした。大学生の期間に、いろいろな視点から語られる授業を受けていくなかで、たくさんの知識を身につけたいなと思いました。また、自分から、ボランティアやイベントに参加したり、本を読んだりと、主体的に行動をして戦争を経験していない自分だからこそできる方法で平和について考えできることをしたいなと強く感じました。大学生の自分には大きなことを起こすことは難しいと思うけれど、自分にできることを積み重ねていくことが大事だと思うので小さなことから取り組みたいなと思いました。

・授業を通して考えさせられたことは、加害者の側が問題意識を持たなくては国際関係の改善は無いということです。被害者がどれだけ被害の大きさを訴えたとしても、加害者が変わらなければまた戦争などは起きかねないためです。私も一人の日本人として日本の歴史を直視しなくてはいけないと思いました。 また、日本は第二次世界大戦においては加害者であると同時に被害者でもあります。このことは当然痛ましい経験ですが、日本人が平和を考える上で必要な点でもあると思います。というのも、被害者としての痛みを知っているからこそ、また加害者になるわけにはいかないという考えに繋がる部分があると思うからです。また、なぜ日本人は、フィリピン人の日本人への感情と同じものを、アメリカなどに対して持たないのかと考えると、それは自分たちも加害者であったという意識が影響しているのだと思います。今の世界を見てみると、20世紀に加害者でしかなかった国々は、今も反省をせずに他国への攻撃を行い、被害者でしかなかった国々は、憎悪の感情を強く持ち続けていると見ることができるのではないでしょうか。加害者と被害者の両方の側面から学ぶことで、本当の意味で戦争を理解できるのかもしれないと思いました。 元日本兵の方々のお話から、やはり戦争は兵士や大衆の意思に関係なく、それぞれの国家の指導者たちによって引き起こされる部分が大きいということを再認識しました。平和を願わない市民などほとんどいないでしょうが、それでも戦争が続くことの原因そのものがそこにあるのだろうと思います。そうした現実に対しても、一人の人間としてできることをしていきたいと思いました。

・今回の授業を受けて私が思ったのは、自分は戦争のことについて知らなさすぎる、ということでした。小学校から戦争の悲惨さについての動画を見たり、話し合いをしたりという活動は授業を通しておこなってきましたが、戦争当事者がどのような思いでいるのか、被害者が日本に対してどんな印象を持っているのかという所までは知る機会がありませんでした。そのため、今回の授業や神さんのコラムでも書かれているように「日本人なんか見たくなかったのに、何であんた達はフィリピンに来たんだい!」というフィリピンの人の声があったということに衝撃を受けました。それだけ日本がフィリピンの人々の心に深い傷を負わせたということでもあり、また自らが犯した残虐行為を悔やむ元日本兵がいるように、日本が日本人の心にも深い傷を負わせているのだと感じました。そして、最後の神さんのメッセージがとても私の心に響きました。大学生は特に“学んだことをたくさん吸収すること”“自分の頭で考えること”が大事だということを再認識したとともに、たくさんの本を読める時間があるうちに読んだり、戦争に関する博物館など色々な場所を訪れてみたいと思いました。

・留学に行ってドイツの高校生に出会ったり、フィリピンのスタディツアーに参加したり、神さんの戦争や平和を考えた一つ一つのきっかけはそこまで特別のことのようには思えませんでした。しかし、ドイツの高校生やフィリピンのおばあちゃん、先生といった出会った一人一人の言葉をはっきりと覚えていて、自分の中で繋がっていったというところに神さんの特別さを感じました。そうやって正面から人に向き合っているから、行動を起こすことができるし、多くの人に影響を与えることができるのかと思い、私もそんなふうになりたいと思いました。心を動かされた一番の理由は、神さんが高校までは普通の高校生で、強烈なバックグラウンドを持っていたわけじゃないということです。極端な言い方をしてしまえば、フィリピンと日本の橋になる人は神さんじゃなければいけない、というわけではなかったと思います。それでも神さんには動く理由があって、実際に行動を起こしているという事実は、戦争を経験しておらず幼い頃から戦争の話を聞かされ続けたわけでもない私でも、行動を起こすことができると言える十分な根拠になります。私は他人より戦争や平和に対して強い思いを持つ理由が見つからないと思っていました。だけど神さんのお話を聞いて、小さなきっかけもしっかりと受け止めていけば、大きな理由などいらないのだと考えが変わりました。

・授業中に出た意見と同じように、私も「学んだことに対して何も行動を起こさないのは知的搾取だ。」という言葉が心に残りました。まさに今の自分に向けられた言葉だと思い、どきりとしました。また、神さんが昔出会ったドイツ人の女の子の話から、平和と戦争に向ける関心と意識が、日本と海外でここまで差があることに驚きました。大学生のうちにできるだけ見聞を広げ、考えたことを実際に行動に移すことを心がけたいです。

・今回の講義を通して、戦争を「知る」ということ、「忘れない」ということの大切さを改めて感じることができました。神さんが15年間で集めた300人ものメッセージは守っていくべきだと思いましたし、戦争を経験した方々からお話を聞くことができることは少なくなってくると思うので、神さんの活動はとても大切な活動だと思いました。また、今回の講義で知ったことを忘れないようにしていきたいです。

・戦争で家族を失ったフィリピンの方々が日本人を恨むことは当然だし、自分がその立場だとしても一生根に持っていたと思う。また、日本人がフィリピン人を殺したのも事実である。しかし、彼らがやったことは本意ではないということを遺族に伝えるだけで、こんなにも国と国との間で理解が進むということに驚いた。もちろん、元日本兵の肉声を撮り、両国を結ぶということは簡単なことではないし、それを行った神さんに日本人として尊敬する。自分も若い世代の日本人として、少しでも他国との関係を改善しようと思うきっかけになった。

・戦争を経験した方達から直接話を聞ける時間も残りわずかとなっているからこそ、今の私たちのような若い世代が戦争についてもっと知り、過去と向き合わなければいけないんだと改めて実感させられました。今の私が平和に向けて何ができるのか正直分からないけれど、過去に何があったのか、戦争の悲惨さ、平和とは何か、ということを少しでもいいから自分で調べて知識を得る、知るということが大切なことなのかなと感じました。

・神さんご自身も海外留学がきっかけで平和について深く興味を持たれたということで、前文で私自身の観点を提示しました。早速私の経歴及び経験を神さんのお話と照らし合わせてコメント書かせて頂きます。私は父の仕事の都合で、イギリス、アメリカとカナダに合計9年間滞在しました。ここではアメリカとカナダでの経験をメインに書きます。当時、アメリカに滞在することとなった年、私は9歳でした。平和の「へ」の字もまだ認識していない頃ですが、平和を考えるきっかけとなりました。今大学生になり、私なりに海外生活を振り返りながらどう捉えているのかを述べたいと思います。私はどちらの国でもアジアン・マイノリティとして生活し、人種が融合されている中で、マイノリティとして生きていくことと、自分とは違う人種と共に生きていくことの難しさを痛感しました。アメリカは、異文化間で見えない境界線があるようで、それを超えての付き合い方は未だ確立されていないように思いました。マジョリティとの権力の差は大きく、だからせめて現地の子と引け目を取らないように、成績は常にトップでいることと、英語力を最大限伸ばすことの2点に注力していました。カナダでは、異文化者同士それぞれが持つバックグラウンドの違いを互いに受け入れ、尊重し合っている姿が見受けられました。アメリカではできなかったありのままの自分でいることができ、とても楽しかったです。そして、私の平和についての定義は端的に言うと、マイノリティを排除しない社会となりました。神さんのお話を聞き、あることにおいてひたむきに頑張っている姿は、勝手ながら私と非常に似ていると強く感じました。戦争に大きく関わりを持った人たちのなかには、若者に話しても無駄だ、とおっしゃった方もいる中、手紙や電話を通じて積極的な姿を見せ、最後には心を開いたということにただただ感激しています。海外経験者ということで、人とは違った色んなひかるものを持っているつもりの私ですが、まだまだ平和について学ぶことはたくさんあると思い、平田先生の授業を受講しています。まだ自分なりの行動を起こせずにいることから、宝の持ち腐れだな、とも思っています。私がこれからの大学生活に向けて平和関連でやりたいことは、FACTFULNESSをまずは読み切ることです。私なりに考えた第1歩です。

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