フェリス女学院高3年生(2019.5)

フェリス3年生BFPワークショップ感想(2019年)

時々、アメリカやイギリスは自分たちの行為は棚に上げて日本の戦争責任を強調しすぎなのではないかと考えてしまうのですが、やはりそのように考える以前に自国のことをもっと知るべきだと気づかされました。BFPという団体を一人で始め、何度も日本兵の方のところに足を運んだ神さんはすごいと思いましたが、その活動によってフィリピンの人々の心が少しでも動いているという事実には驚きました。

ブリッジ・フォー・ピースの活動で、フィリピンの犠牲者と元日本兵の方々を結び付けるという活動は、感謝され両者のためになることもあれば、必ずしも歓迎される訳でもないし、もしかしたら彼らの心の傷をえぐり返すことになってしまう可能性もあったでしょう。それでも挑戦され、犠牲者の方々の心を少しでも変え、元日本兵の方々の感情を開くという機会を作られているのは大変意義深いことであると感じました。

神さんが最初におっしゃっていた「見たこと、知ったことに対して行動する」というのはかなり難しいことだと思う。特に「戦争」に関しては、私たちは想像することしかできず、当事者の方々の想いを明確に捉えることは難しい。そんな中、自分が当事者にどう受け止められるかわからないが、先頭をきって行動するということがいかに大変なのかは想像に難くない。そこに熱意や真剣さが認められたからこそ、元日本兵やフィリピンの方々も神さんを受け入れたのではないだろうか。また、人は発信することで感情が整理される生き物だと思う。他者と経験を共有することで、自分の中で増大した、憎しみや悲しみを客観視できるからである。

未だに日本人のことを許すことができないフィリピン人の被害者の方々の気持ちに共感できる部分がありました。すぐに許してしまうことが身内への裏切りのように思えたりするのかもしれません。私たちが戦争について考えようとすると現実と直面したくない気持ちもあって一方的に想像しがちになるので、このようにビデオレターを見て学ぶ機会があって良かったです。

神さんがおっしゃっていたように、すべての行動はまずは「知る」ことから始まるので、積極的に社会の現状を知るようにしていきたいです。そして、知ったからには自分のできることを探し、行動に移していこうと思います。

心の傷は戦争の終了と共になくなるものではなく、死ぬ直前まで背負う人たちがいるとのことでした。だからこそ、戦争はやってはいけないものであるし、既に戦争が過去におこってしまった地域には物質的支援だけではなく、心のケアも必要だと感じました。

戦争によってその国の人々がどれだけ傷ついたのか教えない日本の教育には問題があるように思いました。今現在日本と韓国が揉めている問題も、なぜ韓国があんなに怒っているのか正直あまりよくわかりません。自分で調べて知っていく必要があると感じました。

私は恥ずかしながらフィリピンが日本の植民地になっていたことを知りませんでした。しかし、これは日本人の歴史への関心が薄すぎることにあるのだと改めて気づかされました。

講演前に団体の活動内容を知った時には、正直、加害者と被害者を繋いで一体に何になるんだろうと思っていました。もし、私が被害者の立場であれば、自分の身内を殺した兵士を前にして冷静ではいられないと想像したからです。しかし、講演を聴いていると、それがとても意味のあることだと分かりました。つらい経験は、誰にも話さないまま時間が経つとどんどん凝り固まってしまうとは今まで考えたこともありませんでした。そして、ビデオ中のフィリピン人の「We must go on.」という言葉が印象に残りました。どんな過去があろうとも、私たちは生き残っているし、この先も生き続けるしかない、ということを痛感しました。

身内にフィリピン人がいますが、戦争についての話をしたことがなかったので、日本がアジアに対して残虐なことを行ったことは知っていましたが、想像以上の衝撃を受けました。自分がいつも戦争について調べるとどうしても一面的にしか見られないのを常に感じていたので、BFPのような活動がもっと世界的に広まると全世界の人々の溝や歴史の認識の溝が埋まるのではないかと思いました。

日本軍が戦時中に他国を占領していたことは知っていましたが、具体的にどのような国でどのようなことをしていたのかを知らず、知らないままでいたことがとても怖いなと感じました。

私たちは日本人であるという事実から逃れられない、という言葉がとても印象に残りました。私たちは戦争に直接関わったわけではないので戦争についてあまり知らないし、知ろうともしないというのが現実です。実際私も戦争について興味があったわけではありません。ニュースで韓国の人々が日本に対して戦争に関しての謝罪を求めている様子を見ても、なぜ私たちにそのようなことを要求するのか疑問しか残りませんでした。しかし、このような姿勢が被害者の方々にとってどのような残酷なことであるのかというのを、今回は初めて実感することが出来ました。

講演会の中ではっとさせられた言葉は、「一歩日本の外に出たときに自国の犯した過ちについて知らないと恥ずかしい思いをする。」という言葉です。今はグローバルな時代だから人種はあまり関係ないと思っていたけれど、実際問題、日本が犯した過ちによって苦しんでいる人々がいて、自分の国についてもっと知っていかなければならないと感じました。

「ナチスドイツのしたことを思うと自分がドイツ人であるのが恥ずかしい。」というドイツ人学生の言葉を聴き、国家のことを自分一人で背負いすぎだと感じた。でも、自国のことを自分のこととしてとらえる大切さは今日学ぶことが出来た。上映会に来てくれるような比較的日本への恨みが少ない人であっても、「毎年映像を持ってきてほしい」と言っているのを聞き、国が違っても精一杯の気持ちを込めていれば伝わるものがあるのだと嬉しく感じた。

私は「戦争はよくない。戦争を忘れないでおこう。」と思うだけで実際に行動しようという気まで至っていなかったことに気が付きました。更に、なぜそういう積極的な考えに至らなかったのかと思うと、神さんも話していたように、歴史について戦争について一方面からの知識しかなく、もっと深い現実を何も知らなかったからだと思いました。

講師の方はフィリピンと日本の溝を埋めるために活動していらっしゃいましたが、私は日本と韓国の溝を埋めたいです。両国の関係は過去の認識の差によって冷え込んでいます。政府では解決できないことはBFPのような民間の交流で癒していきたいです。

フィリピン人の女性が涙ながらに心境を語っている様子を見て、正直何も考えられなくなった。悲しいというほど自分の心情としてきちんと受け止めきれるほどの感情の重さでもなかったし、ひどいとか言えるほど冷静に状況を判定もできなかった。心と言葉、思考もどこかへいってしまった感覚がした。今回の講演で、自国を知ることが国際的な視野を持つうえでの基礎になると気づいた。自分が問題意識を感じたことから逃げず、積極的に関わっていくことが社会を良くしていくことに繋がるのだと思った。

神さんの活動は戦争を知らない世代に当時のことを伝えるだけではなく、実際に戦争時代を生きた人々を繋いでいく活動であるというのが新鮮でした。

広島に研修に行って被爆者の体験を聴いているときに「さっきからうんうん頷いているけど本当にわかっているの?」と言われました。その時、そのおじいさんが体験した、語るのもためらうような苦しさ、辛さを全部わかるなんて無理だしわかっていると言うのもおこがましいと感じました。私は、戦争に反対です。ですが、どうすれば戦争を本当に理解できるかわからないまま、しかも多くの人が私と同じような感情を抱いたままで時代が移っていくことに恐怖を感じました。でも、神さんのまずは戦争を知っていくことが大切というお話に救われた気がしました。

終戦から時間が経つにつれてその悲劇が忘れ去られていくという問題は以前からメディアなどでも取り上げられていたが、本当の問題は、過去の出来事が人々の感情と直接結びつかなくなってしまうことだと思う。戦争を経験したことのない世代が、犠牲者の数字などだけみて実感を伴って受け止めることは難しい。

フィリピンの方々が涙ながらに戦争のことを話す様子や、反対に、日本兵の方が静かに過去のことを話す様子が印象に残った。

日本で耳にすることは、日本の戦争被害に対することが大半です。反対に、フィリピンの人々がそのような自国の被害に関する教育を受けている人が多いのにも納得です。なぜ、メディアは自国の罪を後世に伝えないのだろうかという疑問が湧きます。被害による苦しみも、加害による苦しみも多面的に学んでいく必要があると感じました。

実体験でない戦争の話はいずれ教科書に載る文字の羅列になってしまう。そうならないためにも、戦争の実体験をビデオメッセージで、言葉と現実のギャップを作ることなくそのまま残そうとするところに大いに共感した。戦争を語ることに加えて、今の私たち自身の人としての在り方が、これからの時代の戦争の有無を左右するのだと思うようになった。「できるかできないかではなく、出来るようにすればよい。」という神さんのお言葉が印象的で、自分がこれからどう行動を起こしていけるのか深く考えさせられた。

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