フェリス1年生BFPワークショップ感想(2019年)
フィリピンの方が日本の人に対して「なんで来たんだ。日本人の顔なんて見たくなかった。」と言っている場面には驚きました。同じ国の人と言うだけで今の若者が批判されるのは悔しいし正直嫌ですが、それほどに被害を受けた人々の想いは、私たちからは想像できないほど辛いものなのだと感じました。戦争の話となると聞くことも遠慮してしまいがちですが、心の傷を分かち合うためにも当事者の話をきくことを大切にしたいと思いました。
日本兵の方は、自らの意志で戦いに行ったのではなく、毎日後悔をしていると話していました。実際の生々しい話をきいて、身に染みるものがありました。私が今回の話で一番得たものは、「物事を多面的に見る。」ということです。
私はこれまで歴史、特に太平洋戦争には関心を持っているほうであるという自負があったけれど、今回の講演を聴いて、自分は戦争について何もわかっていなかったのだと気づかされた。アジアと日本と言う関係については、私はまったく無視し続けていたのだ。アメリカと日本の関係や日本の被害者的側面についてしか見ていなかった。だから、フィリピンの事実を一つも知らなかった自分を恥じた。
今回の講演でフィリピンの人々の想いを知り、日本が加害者になっているということを初めて実感することができた。事実としては知りつつも実感がなかったのは、これまでは自分たちだけを被害者と考え、他国にしたことについて目を向けていなかったからだと思う。人々は自分に都合の悪いことは見ないようにしがちであるが、事実をそのまま受け入れることが大切であると思う。
フィリピンを占領していた国の中で、アメリカ・スペインは感謝されているのに、日本だけは「何ももってきてくれなかった」と言われている事実。私は戦争から70年以上たった今でも、このように日本が憎まれていることを知らなかった。戦争を経験していない私たちの世代にできることは「戦争について知ること」だとおっしゃっていて、確かに、私たち学生には社会人よりも戦争について知る機会が多く与えられていると思うので、このような機会に感謝しつつ学んでいきたい。
戦争の悲劇とは、戦後世代の私たちが歴史的な背景から他の国の人々に嫌われてしまったり、それによって他国との間に溝が出来てしまうことなのではないかと思った。「忘れる」という形で溝がなくなることもあるのかもしれないが、それだと過去を生きていた人たちの気持ちがなかったことになってしまう。ここで大事なのがお互いの気持ちを「知る」ということであると思う。
講演会の前は、「わざわざつらい過去を掘り起こすなんて逆にひどいのではないか。」とか「ビデオレターは日本側のエゴなのではないか。」と神さんの活動をあまりよくは思っていませんでした。でも、実際に講演を受けて、この考え方は変わりました。また、私は「なぜ私たちが戦争責任を負わなければならないのか。」という疑問に対して納得のいく答えが見つかっていません。これを考えることもまた課題なのだろうなと思いました。
日本と言うコミュニティに属している人間として日本がしてきたこと、歴史と自分たちは全く無関係ではない。だから、フィリピンで日本兵がしてきたことも歴史の負の一面として背負っていく必要がある。世界の中で日本がどのような位置にあるのか、多面的にとらえ、第二次世界大戦や太平洋戦争を自分の中で再定義していこうと思う。
過去と向き合って前向きに進もうとする人々の勇気と決意をこころから尊敬しました。
最初この講演会の話を聞いたとき、ビデオメッセージを通した和解についてただ単純に謝罪の言葉と許しのコトバを交換するだけだと思っていて、あくまで「和解」に重きをおいた活動だと思っていました。戦争を経験した限られた世代が、加害者であるか被害者であるかに関わらず、自分の辛い経験を話すことにどれだけの重要性があるのかを知らなかったです。ビデオメッセージが戦争経験者の「心を癒す」というもっと大事な目的があるということを知りました。戦争に勝者はいないというメッセージの通り、日本は加害者と被害者の二面性を持っているからこそ、更に広い目で見ていく必要があることに気づかされました。
BFPという団体が、フィリピンの犠牲者の方々と元日本兵の方の間の架け橋をするその活動には本当に感動しました。一番印象に残ったのは、ある日本兵の方が「私はまだ生きていてもいいのでしょうか。」と発せられたところです。私たち戦後世代からすれば何年も前の話としてとらえてしまうのに、当事者の方々はずっと忘れずに罪の意識を抱えて一人で苦しんでいたのだと思うと、あまりにも辛かったです。それからフィリピンの方のお話のビデオの中で、「本来政府がやるべきことを神さんがやっている。」とお話されていて、本当にその通りだし、日本の政府は一体何をしているのだろうと感じました。
今回の話を聞いて、私は神さんの素晴らしさに始終感動し、尊敬した。自ら行動し、日本とフィリピンの架け橋として活動されていることはもちろんすごいと思ったが、過去の戦争を知り後世に伝えていくという神さんの強い想いが特に心に残った。
今までフィリピン人と関わることがたくさんあったので、日本とフィリピンの戦時中の関係は前から知っていましたが、日本人だからと言って嫌な顔をされることはほとんどありませんでした。今まで出会ったフィリピン人に対して嫌な思いをすることがほとんどなかったので、若い世代同士の関係は戦時中の影響を受けていないと思いました。一方、戦時中を生きた人々の関係については踏み込みにくく、タブーのように感じていましたが、ビデオメッセージを見て本人たちの気持ちの整理と相手の理解につながると分かり驚きました。
今まで自分が見ていた戦争はほんの一面でしかなかったことに気が付いた。自分の周りにあるテレビや教科書だけで知った気にならずに自分で多面的に知ろうとすることが大切であると思う。これから戦争体験者がいなくなる未来でも、自分たちが語り継いでいかなければならない。
ドイツ人の女の子が戦争の過去を恥ずかしがっているというお話から、それは愛国心から来ている考えなのではないかと推測できた。私は今まで日本人であるということに誇りを感じたりしなかったので新しい感覚があった。
神さんの講演を聴き、若い人が過去の戦争に対して何か行動を起こしていることがとても素晴らしいと思った。戦争は自分とは関係がないと割り切っていた自分が恥ずかしい。
日本人を許すと言うフィリピン人のことが信じられないという元日本兵の人の話をきき、戦争の計り知れない恐ろしさを感じました。日本製品を見るだけでも嫌悪感を抱く戦争経験者の方がいるという事実から、外交レベルでなくても一般の人々同士の交流が大切ではないかと思いました。日本人と言う集団としてフィリピン人の人々に嫌われてしまうのはとても悲しいです。
勝った国でも負けた国でもなく、巻き込まれた国にいた人々の話を聞くことができたのはとてもいい経験であった。今回の映像で見た人々の声がすべてではないし、本当にまだ日本を許せない人はきっと神さんに会いにくることもないだろう。私たちが加害国の人間で、直接被害を与えていない世代であったとしても、聞く耳を持ってくれない人がいるのが事実。神さんの言葉にもあったように、「過去を理解し、積極的・自主的に行動し続けること」がとても大切だと思った。
日本兵の方々のお話を聞く中で、過去のことは後悔しても変えられないと思ったし、かといってそれを起こさないということも当時はできなかったのだと思う。自分が実際に人を殺めてしまっていたら、きっと生きた心地もしないで生き続けるのだろうと思った。戦争に生きた人々のことを考えると言葉がでない。
この講演で戦争に対する想いが変化した。今までは戦争は自分に無関係だと思っていたが、今も戦争のせいで苦しい想いをしている人々を見て見ぬふりをすることは恥ずかしいとさえ思うようになった。戦争はやってはいけないからこそ、戦争がどのようなものかを理解していく必要があると思った。
戦争の傷は物理的なものだけでなく、死ぬまで残り続けるという、戦争の恐ろしさを強く感じました。
神さんの、フィリピンと日本の両方の意見を集め、加害者の心の重荷を軽くして自らが橋となることによって生々しく偽りのない経験・偏見を持たずに知ることが出来るのは、今の時代とても貴重だなと思った。
元日本兵の人々が戦争について語るときに、想像していたよりも淡々とお話されていたことが驚きでした。もちろんビデオで編集されているというのも分かっていますが、自分が同じような経験をしたら正常ではいられないと思うからです。印象に残った言葉は「無情感」です。戦争は人を殺すと言う行為に対して情を失わせると言うのが心底怖いと感じました。昨年経済の授業で学んだ「不可逆的損失」という言葉を思い出しました。
最初にこのブリッジ・フォー・ピースの説明を聞いたときは、ビデオメッセージで被害者と加害者を結ぶことなど果たしてできるのだろうかと正直思いました。しかし、講演後には、「知らない。」と言うことが誰かを傷つけることもあるのだなということを知りました。
私は、被害者であるフィリピン人も加害者である日本人も傷ついていると言うお話には納得できました。曾祖母に戦争体験をきいているときに「戦争は二度と繰り返してはいけない。」と何度も言われたからです。戦争に勝ったとしても本当の意味での勝者はいないし、戦争をやってよかったと言う人はほとんどいないと思います。戦争という過去の出来事に目を反らさず、言い伝えていくことが大切だと感じます。
今までは教科書の説明だけで戦争を分かった気になっていたが、戦争とはそれだけでは語り尽くすことのできないほど重く、もっと残酷なものであると感じました。
今までの戦争学習では日本が「された」ことにだけ焦点があたっていて、「した」ことを学ぶ機会がなかったので新鮮だった。
この機会がなければフィリピンの人々の想いを知ることは一生なかったと思うので、とても貴重だった。
フィリピンの方々のことを思いながら一方で沖縄のガマの悲惨な光景が頭に浮かんだ。同じことが今も地球のどこかで起きている。日本のように、戦争に関わった国々は被害者でもあり加害者であることもある。過去に起きた戦争については、私たちの世代がどのように責任をとるのかという議論を耳にすることがあるが、問題の大元は「戦争」という手段そのものにあるとしか思えない。BFPの活動は草の根の活動によって無知や誤解をなくし、戦争に対する正しい認識を共有するための大きな力になっていると思った。
ビデオメッセージを見て、直接ではないが表情や声の抑揚も含めた当事者のメッセージを聴くことができて傷の深さをより感じることができた。
ムービー内の女性の言葉「原因である過去を改善していかないと未来には進めない。」というものが最も印象的だった。ここで疑問なのはなぜフィリピンと日本のみでビデオを流しその意思や事実を受け継ぐのかということ。私は、狭い世界だけで落とし込めるような事柄ではなく、日本とフィリピンの和解のためとは言え、その歴史をもっと広い、世界と言う大きなコミュニティで共有し、その遺産を後世に遺すという事実が大切なのではないかと思う。負の遺産を受け継ぎ、より豊かなコミュニティを全世界で形成していきたい。
旧日本兵の想いが込められたビデオを観るまでフィリピンの人々が日本側の想いを知らなかったのが意外であると同時に、日本人としても当てはまるものがあると思った。たとえば原爆。私たちはアメリカ兵の想いなど知らない。私たちは相手国のことなど何も知らないのだと気づかされた。
戦争についてはこれまでも学んだり考えてきたつもりだったが、アジアの国々でおきたことにはあまり知らなかった。今まで漠然と数・集団としてとらえてきてしまっていた兵士の方々ひとりひとりのことを考えるようになった。20万人以上がなくなったといわれているフィリピンで、今も怒りをなくせない人がいるのは当然のことだと思った。「僕はまだ生きていてもいいのでしょうか。」と旧日本兵の方が言われていたのが衝撃的で、こんなことを今後誰の口からも言わせてはいけないと思った。
フィリピンの話ではありませんが、母が領土問題や慰安婦問題など政治関係のせいで韓国のことを、そしてその国民のことも毛嫌いしていることが心に浮かび、もう一度そのことについて深く考えさせられました。
私の曽祖父は戦争を経験しており、実際に会ったことは無いけれど戦争から生き残って帰ってきたと言うことは何かしらの罪を犯しているのではないかと思うと、今回の講演会のお話は他人事ではありませんでした。母曰く、曽祖父は戦争の体験談を語ることを拒否していたらしく、神さんの講演を聴いている間もそれを思い出しました。動画と言うツールを使用し、後世に人々の思いを伝えていくというアイデアがとてもすてきだと思いました。
今回知った事実は、戦争は単なる被害者と加害者という構造ではないと言うことです。政府の命令とは言え、あのような残虐行為をした日本兵の行為は悪としてしかとらえられませんでした。
神さんのお話の中に、活動を始めるときに、お母さんに「あなたがやらなくてもいい事だ。」と反対されたと言うものが印象にのこった。神さんのように現地の声をもっと聴いていきたいと思った。
率直な意見として、日本人と言うくくりで、日本人だから顔も見たくないとフィリピンの人に言われてしまっていたのが私は受け入れることが出来なかったが、やはり自分の国の歴史と言うのは学んでおく必要があると思った。私は、日本人として、ではなく一人の人間として客観的に戦争を学んでいきたいと思った。
私は戦争の話が好きではない。戦争に関しての読み物を読んだりお話を聞くと、どんな場も空気が重くなってしまうからだ。しかし、今回の講演を聴いて、これらのことを避けてはいけないなと気づかされた。私たちのこれからの未来のためにも戦争について語り合っていくことは必要不可欠であると思う。
私たちは先祖が行ってきた行為に対して決して他人事にせず、知っておく必要がある。過去のことを知らずにいたら、正しく時代を見ることができない。家族や自分自身、そして国を傷つけられた苦しみも計り知れないが、人を殺し、国を壊してしまった罪悪感や後悔も想像を絶するものがあるなと思った。
私の祖父母はどちらも戦争を知っていて特に祖母は長崎にいたのでさまざまな経験をしたらしいのですが、神さんがおっしゃったように家族だからこそ暗い話がしにくいのか、あまり聞いたことがありませんでした。でもこの講演を通して、祖父母がまだ元気なうちに話を聞いてみようと思いました。
敗戦国イコール被害国という単純なものではなく、日本にも加害者側としての顔があることを初めて実感しました。また、終戦しているとしても、いつまでも戦争の傷は人々の心から消えないことを学びました。